AMPEXの経歴

Ampex Data Systemsは、65年以上に渡り磁気テープ・レコーディングとストレージ商品に於いて業界トップの地位を担ってきました。下記はそんな歴史の、ほんの一部のご紹介です… 

2008

Ampex Data Systemsはこの年、これまでのオーディオ記録技術及びその数々の製品に対する功績を讃えてグラミー賞を授与された。 

2005

これまでのスローモーションカラー記録再生の発明に対して、12個目のエミー賞が授与される。 

1999

複数のライブラリーキャビネットを、シンプルなカートリッジ搬送機構を使って連結出来る、拡張可能なDST 712ライブラリーシステムを発表。ライブラリーシステムとして、ほぼ無限大の容量を持つ。 

1998

Fox Television Networkが、プライムタイムの放送番組を、DSTライブラリーシステムにデータファイルとして保存を開始。 

1996

容量を2倍にし、業界最高のデータ保存容量を持つDSTシリーズを発表。この容量増加により、2平方メートルのフロアスペースのDST 812ライブラリーシステムは最大で12.8TBのデータ保存が可能となった。 

1995

DIS TM 120i, DIS 160iを発表。2つのポートを持つ、データ及び計測用レコーダーで、初めて計測データをリアルタイムで記録することを可能にし、かつ、もうひとつのポートである、SCSI-2のプロトコルを使ってコンピュータ環境下でのデータプロセスを可能にした。 

1994

DCT700dに対して、International Teleproduction SocietyからもMonitor Awardが贈呈される。 

1992

高性能コンピュータ大容量ストレージ、DSTを発表。国会図書館の全蔵書データの半分を、僅か2平方メートルのフロアスペースに保存できる。 

1992

画像圧縮技術を用いて卓越した画質を実現した、初のデジタルコンポーネントポストプロダクションシステム、DCT(ビデオテープレコーダー、DCT1700dを含む)を発表 。 

1990

ACR-225に対してエミー賞が授与される。 

1989

D-2ビデオ記録フォーマットの開発に対してエミー賞が授与される。 

1988

初のコンポジットデジタルビデオレコーディングフォーマット、D2 VTRを発表。 

1987

Zeus TM に対して、International Teleproduction SocietyからもMonitor Awardが贈呈される。 

1986

この年、新たに二つのエミー賞を受賞。ひとつは高性能ビデオプロセッサー、Zeus TM。もうひとつは、VPR-3ビデオテープレコーダー。 

1984

International Teleproduction SocietyよりMonitor Awardが、世界初のヘリカルスキャンポータブルVTR、VPR-5に対して贈られる。また、VPR-5はこの年エミー賞も受賞。 

1983

DCRS ディジタルカセットレコーダーを発表。それまでのオープンリールタイプの計測レコーダーのテープ8本分のデータを僅か1本のコンパクトなカセットに記録することが可能。 

1983

Partial-response maximum-likelihood (PRML) データ記録技術を初めてDCRsiTM レコーダーに採用。この技術は今では高性能コンピュータ用ディスクドライブや、その他の高密度データストレージ装置に使われている。 

1983

ADO® に対し、その顕著な技術革新の功績を讃えて、International Teleproduction Societyより、Monitor Awardが送られた。また、同時にエミー賞も受賞。 

1981

ADO (Ampex Digital Optics)を発表。この装置は、ビデオ画像の回転や三次元を可能にし、これ以降のテレビ素材の細工や加工に大きな変革をもたらした。ESSTMに対してエミー賞が授与される。 

1978

この年の第12回スーパーボウルに於いて、アーティストのLeroy NielmanがアンペックスのAVA (Ampex Video Art) を使ってゲームをオンエア。初のビデオペイントシステムであるAVAは、グラフィックアーティストが電子ペンを使い、新しいメディアであるビデオの中に絵を入れられる装置で、この技術革新が、今日の高品位グラフィックス(たとえばテレビゲームの様な)への道を開いた。 

1977

この年、2つのエミー賞を受賞。ひとつは、Type Cフォーマットの開発の功績に対して。もうひとつは、ASTR ビデオトラッキングシステム(初めてテープから直接のスローモーション再生を可能にした)に対して。 

1977

ESS (Electronics Still Store)を発表。これにより、編集者は後日の編集や放送の為にビデオ映像をデジタル化して保存することができるようになった。 

1976

ヘリカルスキャンタイプのType C、1インチ、VTR、 VPR-1を発表。オートマチックスキャントラッキング(AST)を採用し、初めてテープから直接のスローモーション再生を可能にした。VPR-1の後継機であるVPR-2は業界スタンダード機となる。 

1970

世界初の全自動ロボットライブラリーを使ったテレビCM素材の記録、送出システム、ACR-25を発表。 

1970

自社レーベル(Ampex Records)を設立。最大のヒット曲はTodd Rundgren (Runt)の “We Gotta Get You A Woman”で、1970年全米チャートの20位を記録した。 

1969

Videofileを発表。Scotland Yard(ロンドン警視庁)に、指紋の電子保存、検索用に採用され、今なお使用されている。 

1968

American Airlines, in association with DOT Records/AMPEX, produce “Flyinアメリカン航空はDOTレコード、Ampex Data Systemsと協力して、“Flying With A Musical Flair”(人気のプログラム#49)を制作。このオープンリールテープは機内で流され、また乗客への販売も行われた。 

1967

VR-3000の発表。ブリーフケースサイズの、最初の可搬型VTR。翌年、1968年のメキシコオリンピックに採用され、世界で初めてクロスカントリー選手の実況放送に使用された。 

1967

VR-2000に対して、エミー賞を受賞。 

1966年に“Wide World of Sports”プログラムの一環としてABC社の要望により“インスタント・リプレイ”ビデオディスクレコーダーを開発した。CBSは、1963年12月7日のArmy-Navyの試合からAmpex VR-1000Bビデオテープを、いち早く取り入れ、そして、1965年には、パルアルトにあるMVR社によって開発された“フリーズ・アクション”ビデオディスクを取り入れた。このMVRシングルフレームレコーダーは、1965年7月にサンフランシスコで行われたSMPTE会議にてデモンストレーションされ、ニッケルコバルトによりコーティングされた光沢のあるアルミニウム磁気ディスク上で600シングルフレームで20秒の白黒ビデオを記録する能力があることを示した。MVRは、CBSがフットボールの試合で使用するために、VDR-210CFのモデルを設計、すぐに通常動作における短い場面の再生、または、シングルフレームでのフリーズモーションの再生を可能にした。 

プラッターを横切って移動する一連のレコーディングヘッドを持つ金属ディスクを1800rpmで回転させ、30秒の通常動作を記録するためのビデオトラックを毎秒30本で作るという新しいアプローチを採用した。それぞれのトラックは、ひとつのビデオフレームを記憶する。もしヘッドの速度を落とした場合、30よりも少ないトラックが1800rpmで再生され、スローモーション効果を作ることができる。もしプラッターが1800rpmで回転し続けたままヘッドが止まった場合、フリーズフレームを作ることができる。Ampex Data SystemsでプロジェクトマネージャーをしていたJohn Poole氏は、1968年に発表されるビデオファイル情報システムのための金属ディスクを開発してきた。このシステムは、ビデオテープに記憶されたドキュメントイメージを取り込み、“インスタント・リプレイ”ストップアクションフォーマットで、職員がそのドキュメントを閲覧できるようにディスクレコーダーワークステーション上にそれらを複製する。1967年3月には、Ampex HS-100カラービデオ磁気ディスクレコーダーがコロラド州のベイルで開催されたスキーチャンピオンシップにて“World Series of Skiing”プログラムの一環として、ノーマル、スロー、またはストップ動作を再生するために使用され、テレビ広告にてインスタント・リプレイの開始が知らされた。 

Ampex Data Systemsのデバイスは、磁気レコーディングの歴史において新たな1ページを開いた。Valdemar Poulsen氏は、1898年デンマークにてスチールワイヤーとして使われたテレグラフォンと呼ばれる磁気レコーダーの特許をとり、イギリスのGeorge Baird氏は、1927年に磁気ディスク上にビデオプログラムを記録した。ドイツのFritz Pfleumer氏は、紙または薄膜のストリップへの磁気粉末の適用で1928年に特許を取得、1935年までに、AEG社を導いて、BASF製のセルロースアセテートテープを用いて、マグネットフォンテープレコーダーを開発した。Bell研究所のClarence Hickman氏は、1934年に、コバルトスチールワイヤー上にラミネート加工されたパーマロイヘッドを持つ長期的な記録に使われる磁気電話メッセージレコーダーを開発した。Ampex Data Systemsは、1948年に、Bing Crosby氏とABSラジオネットワークの要望でテープレコーダを開発した。イギリスのAndrew Donald Booth氏は、1948年に Manchesterコンピュータのための初の磁気ドラムメモリを開発。Ampex Data Systemsは、1956年にプロ用放送機器のためのVR-1000テープレコーダーを発表、11月30日にはNBCにより、米国西海岸でDouglas Edwards氏による新放送のテープディレイのために使用された。1959年には、日本の東芝がヘリカルスキャンビデオテープレコーダーを開発、Ampex Data SystemsおよびSonyと共同で2インチヘリカルスキャンプロ用レコーダを製造。1963年には、Ampexがフレーム単位でのレコードコントロールが可能なEDITEC(電子ビデオ編集機)を発表。1965年までに、Ampex Data Systemsは、そのトランジスタを使用したカラーハイバンドVR-2000を発表。1967年には、ブリーフケースサイズの可搬型VR-3000ビデオレコーダーが発表され、それが1968年のメキシコオリンピックに採用、世界で初めてクロスカントリー選手の実況放送に使用された。 

1964

高画質のカラー放送の要求に応えた、世界最初の実際色再生を可能にしたハイバンドビデオテープレコーダー、VR-2000を発表。  

1963

EDITEC(電子ビデオ編集機)を発表。これによりフレーム単位でのレコードコントロールが可能になった為、放送局のテレビ編集者にとってテープ編集が容易になり、かつアニメーション効果も可能にする。この技術は、これ以降の全ての編集システムの基礎となった。Ampex Data Systemsは更に新しいタイプのコンピュータ用デジタルテープトランスポート、TM-7を発表。その斬新な設計は、それまでのテープドライブを遥かに凌駕し、使用部品を約80%も削減し、ピンチローラーやブレーキシリンダーも排除したものだった。 

1961

ヘリカルスキャンレコーディング技術を発明する。この技術は世界中の家庭用ビデオ開発の基礎となるもので、今日でも全ての家庭用VTRに使われている。 

1960

これまでの多大な技術貢献に対して、The Academy of Motion Picture Arts and Scienceからオスカーが贈呈される。 

1959

有名な、Nixon-Khrushchev氏らの“Kitchen Debate” がモスクワのトレードフェアで行われる。この様子がAmpex Data Systems製ビデオテープレコーダーで収録される。

Kitchen Debateは、1959年7月24日、モスクワのソコルニキ公園でアメリカン・ナショナル・エキシビジョン開催の時に、アメリカのRichard Nixon副大統領とNikita Khrushchevソビエトプレミアの間で行われた(通訳を通じた)即時の交換の一連だった。このエキシビジョンでは、アメリカ人の出展者がアメリカ人なら誰でも所有することが出来ると主張したようなモデルハウスが丸ごと建てられた。そこは労力節約や娯楽に根差した装置で満たされ、アメリカ消費市場における資本家の所産を象徴していた。このエキシビジョンでは、1955年のジュネーブ会議以来となるソビエト連邦とアメリカとの高レベルな会合が行われた。この会合はエキシビジョン内の多くの場所で行われたのだが、特にその半分はこの郊外のモデルハウスのキッチンで行われたため容易に記録することが出来た。 

彼らは、彼ら自身が思う経済システム、資本主義および共産主義のメリットについて議論した。それは、Ampexカラービデオテープ上に記録され、アメリカでの新技術がAmpex Data Systemsにより確立した。ディベート中にNixon氏は、アメリカの技術進歩の一つとしてこれを指摘している。 

彼らは、彼らの国の産業業績について主張し、Khrushchev氏は、ソビエトは、むしろ高級な事業に焦点を合わせると強調している。彼は、皮肉っぽく、“口の中に食べ物を入れる、そしてそれを押し込む”という機械はあるかどうかを尋ねた。Nixon氏は、少なくとも競うことは、軍事力よりもむしろ技術の発達を意味するという言葉により返答した。最後に、彼らは、アメリカ合衆国とソビエト連邦がお互いにもっとオープンになるべきだと主張した。しかしながら、Khrushchev氏は、Nixon氏の約束に疑いをもち、議論での彼の言葉を英語に訳し、アメリカ中に放送した。 

第2部では、以下、Ampex Data Systemsのファンが聞いて楽しめるように、1:52に“このプログラムは、今、Ampexカラーテープにより記録されている、そして、それはすぐに再生することができ、あなたは、これがライブプログラムではないということを伝えることは出来ません...”と残した。 

1958

NASAがAmpex Data Systemsのデータレコーダーと磁気テープを採用。事実上、これ以降の全てのアメリカ宇宙開発任務に使用されることになる。 

1957

世界初のビデオテープレコーダー(VTR)の発明に対して、エミー賞が贈呈される。 

1956

この年の11月30日、CBSがAmpex Mark IVを使って、同局の番組 (Douglas Edwards and The News) をロサンジェルスから時差送出を行う。 

1956

この年の3月14日にシカゴで開催されたNational Association of Radio and Television Broadcasters(現在のNABショー)において、Ampex Data SystemsはVRX-1000(後にMark IVと改名)を発表。 これが、世界初の実用的ビデオテープレコーダーであり、素晴らしい技術革新として称賛を浴びる。 

1954

メンフィスにあったSun Studioというレコーディングスタジオで、当時は無名のトラックドラーバーだった、エルビス・プレスリーが最初の歴史的なレコーディングを行った。その際に使われたのがAmpex Data Systems製オープンリールレコーダー、521であった。 

1954

マルチトラックデータ記録技術を用いた、最初のマルチトラックオーディオレコーダーを発表。また、最初のマグネティックシアターサウンドシステムを発表し、Todd/AO CinemaScopeに納入。 

1950

最初の専用計測レコーダー、Model 500 を発表し、アメリカ海軍に納入された。 

1948

American Broadcast Company (ABC) が、Ampex Data Systems製オーディオレコーダー (Model 200) 使って、アメリカで最初の時差送出によるラジオ放送を行った(番組は当時の人気番組である、ビング・クロスビーショー)。 

1944

Alexnader M. Poniatoffが、カリフォルニア州 San Carlos に、Ampex Electric and Manufacturing Company を設立。“AMPEX”という名前は、彼のイニシャル(A.M.P)に、excellence の“EX” を足したもの。